美と技を求めて 建築をめぐる旅 ~熊谷市~
お知らせ 埼玉
2025年10月10日
埼玉県熊谷市ってこんなところ!
日本一アツい街!?活気に溢れています!
快晴日数は日本一と言われており、2018年(平成30)7月23日には当時の国内最高気温である41.1℃を記録しました。
また、熊谷市は、製造品出荷額で県内2位、農業産出額で県内3位、商品販売額で県内5位と、埼玉県内有数の産業都市です。
肥沃な土壌と、充実した広域交通網などの産業立地優位性を活かし、農業、商業、工業の各分野において活力ある産業振興を目指しています。
さらに、6世紀中頃の中条古墳群からは国重要文化財の埴輪 短甲の武人と馬形埴輪、6世紀後半の野原古墳からは「踊る人々」と呼ばれる埴輪が出土しました。
熊谷駅前には「平家物語」でも活躍が描かれている熊谷次郎直実の像が設置してあります。
大正から昭和にかけて、関東大震災や先の大戦での空襲といった惨禍を克服した熊谷市は、平成の大合併を経て、令和となった現在も発展を続けています。
自然、産業に触れるも良し。歴史に触れるも良し。電車でも、車でも。ぜひ熊谷市に足を運んでみてはいかがでしょうか。
【おすすめスポット】妻沼聖天山
日本三大聖天
妻沼聖天山は日本三大聖天の1つといわれ、平家物語や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに武勇に優れた義理人情に厚い人柄が称えられている、斎藤別当実盛公(さいとうべっとうさねもりこう)が当地の鎮守として、1179(治承3)年に開創しました。
特に縁結びの霊験あらたかで、夫婦の縁はもちろんのこと、家内安全・商売繁盛・厄除け開運・交通安全・学業進学などのあらゆる良縁を結んでいただけるので、祈願をこめる信仰の寺院であります。
妻沼聖天山の御本尊は大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)で
聖天さまの呼び名で親しまれています。国指定重要文化財ですが、秘仏であり普段は公開されていません。大聖歓喜天は仏教の守護神で、人身象頭の姿で表されます。
【基本情報】
■住所:熊谷市妻沼1511 [MAP]
■電話番号:048-588-1644
■受付時間: 平日10:00~15:00・土日祝日9:30~16:00
■拝観時間 :平日10:00~15:30・土日祝日9:30~16:30
■拝観料:700円
■妻沼聖天山公式ホームページ
見どころ
貴惣門
この貴惣門の設計者は、遠く山口県岩国藩(吉川藩とも呼ばれる)で作事方奉行を担っていた長谷川十右衛門という人物でした。
長谷川十右衛門は日本を代表する木造橋の一つである岩国の錦帯橋の架け替えの際、棟梁を務めたという経歴を持つ人物です。
【特徴】
左右には邪鬼を踏みつけながら立つ二天王像が立ち、江戸末期の造形技術を駆使した周囲の精巧な彫刻とともに、厳かな雰囲気を醸し出しています。
1階の右側には仏教の四天王の一人、多聞天(たもんてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)像が納められています。こちらは口を開けた阿形の像。
左側に納められているのは、吽形の表情の持国天(じこくてん)像。邪鬼を足で抑え込んでいます。
御本殿
斎藤別当実盛公が聖天堂を開創されてから何度も修復・再建されて来ましたが、江戸時代初期、災火のため中門を残して焼失。
現存する御本殿は、江戸時代初期には荒廃してしまいます。大工の林正清(はやしまさきよ)は歓喜院の海算院主(かいさんいんしゅ)に相談し、聖天堂の再建を決意します。地元の人々の協力を得て、1760(宝暦10)年に44年の歳月をかけて子の正信(まさのぶ)の代に完成しました。
また、これまで知られていた彫刻技術の高さに加え、2003(平成15)年10月から約7年間の歳月をかけ、「平成の大修理」を行う過程で明らかになった漆の使い分けなどの高度な技術が駆使されており、その精巧さゆえに「埼玉日光」と称され、県内唯一の国宝建造物に指定されています。
極彩色の彫刻や細部まで作り込まれた彫刻は見るものを圧倒します。彫刻の1つ1つにも故事や意味が込められており、物語的要素を含んでいるのも特徴的です。豪華絢爛な彫刻美
2羽の鳳凰
この彫刻は幕府御用彫物大工を勤めた高松又八の孫弟子である江戸の名工2人によって掘られたものであり、南側を小沢常信(おざわつねのぶ)が、北側を後藤正綱(ごとうまさつな)が手掛けたとされています。これは彫刻に名前があったために分かったそうです。
2つの彫刻の作風は異なり、常信作は、彫りの緻密さによって鳳凰の表情に厳しさを与え、正綱作は、大胆な彫りによって表面を立体的に仕立てています。
また、鳳凰の周りの彫刻は瑞雲と梅という縁起がいいものばかり。こちらの彫刻も繊細な美しさが魅力的です。
三聖吸酸

三聖吸酸
こちらは太鼓羽目彫刻。太鼓羽目彫刻は、唐破風(からはふ)と呼ばれるカーブを描いた屋根のすぐ下に嵌め込まれた羽目彫刻のことです。
孔子、釈迦、老子の3人の聖人が酢をなめて、その酸っぱさを共感しているという図が表されています。酢が酸っぱいという事は誰でも同じで、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっても、真理は1つであるという「三教一致」を意味するものだそうです。儒教の蘇軾(そしょく)と道教の黄庭堅(こうていけん)という2人の書家が、仏教の仏印禅師(ふついんぜんじ)のもとを訪れた際に、桃花酸という酢をなめ、3人が共に顔をしかめたという中国の故事に基づいています。また、太鼓羽目の彫刻は、下から見上げた時に自然に見えるよう少し前傾して取り付けているそうです。
神様による碁打ち

碁打ちをする様子
こちらの彫刻は3間を使った豪華な「大羽目(おおはめ)」の装飾彫刻のうちの中央の彫刻です。 テーマは「七福神」。奥殿西面中央の彫刻は七福神のうちの布袋様と恵比須様が囲碁に興じている姿とそれを見つめる大黒様と子供の様子です。その傍では、大黒様の俵や恵比須様の釣り竿など神様の持ち物で遊ぶ子供たちの様子が表現されています。争いのない、のどかで平和な世の中が訪れる事を願って彫られたといわれています。
【おすすめスポット】荻野吟子記念館(生誕之地史跡公園)
埼玉ゆかりの三偉人
熊谷市立荻野吟子記念館は、日本の公許女性医師第1号となった荻野吟子の生誕地にあり、年表や資料などの豊富な情報によってその生涯に触れることができます。
2019年(平成31年)4月1日から、特定非営利活動法人 めぬまガイドボランティア阿うんの会が管理運営を行っており、館内のガイドを行っています。
荻野吟子記念館を見学した後は、吟子の生家の長屋門(国の登録有形文化財)が移築された、群馬県千代田町の「光恩寺」や赤岩渡船などもあわせてご覧ください。
基本情報
■電話番号:048-589-0004
■開館時間:9時から17時まで
■閉館日:月曜日(但し、月曜日が祝日にあたる場合は開館し、翌平日休館)、年末年始(12月28日から1月3日まで)
■入館料:無料
■駐車場:約10台(大型バスで来館される場合は、河川敷内駐車場をご利用ください)
記念館は荻野吟子の生家の長屋門を模した、瓦葺屋根・漆喰一部下見板の和風建築で、部屋は展示室と休憩室に分かれ、展示室には荻野吟子の生涯を時代に合わせて説明した年表や資料を展示しています。
詳しくは荻野吟子記念館こちらをご覧ください。
熊谷市立荻野吟子記念館ウェブサイト
荻野吟子とは
荻野吟子は江戸時代末期の1851年(嘉永4年)、現熊谷市俵瀬に生まれました。16歳の頃に結婚しましたが、不慮の病に罹り22歳頃に離婚しました。この時、婦人科の治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師となることを決意しました。
しかし、当時、女性には医術開業試験の受験が認められておらず、試験を受けるため奔走しました。なお、吟子は「令義解(りょうのぎげ)」という古文書に女医の記述があることを示していますが、この「令義解」を編纂し、後世に引き継いだのが埼玉の偉人「塙保己一(はなわほきいち)」でした。
こうして吟子は様々な困難を克服し、明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、日本で最初の公認女性医師となりました。
開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。大正2年(1913年)、62歳で永眠し、栄光と波乱に満ちた生涯を閉じました。
【ご当地グルメ】
知られざるうどん県!
そんな熊谷市の名物、「熊谷うどん」は熊谷産小麦を50%以上使用し、熊谷で製麺された地産地消のブランドうどんです。昔からコシの強い手打ちうどんを具沢山の汁につけて食べる肉汁うどんが定番で、熊谷市には工夫を凝らしたうどん店が数多くあります。埼玉県のうどん文化のもっとも大きな特徴は、地域ごとに特色のあるうどんや食べ方が存在することですあり、その数は約30種類にも及びますが、熊谷肉汁うどんは県内に存在する最もポピュラーなうどんの食べ方の1つです。
熊谷市を訪れた際はぜひお試しください♪
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