JAFのあゆみ:1980年代 (フォトヒストリー)
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一般社団法人 日本自動車連盟(JAF)は2013年4月、創立50周年を迎えました。JAF は、1963年(昭和38)、自動車を安全で快適に利用するための諸サービスを提供する自動車ユーザー団体として設立されました。
フォトヒストリーはJAFの歴史を写真で辿るコンテンツです。各年ごとに契機となった出来事をご紹介します。
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1980 (昭和55)年度 ロードサービス受付、100万件に
この年、日本の自動車生産台数は1,104万台となり、米国を抜いて世界一となった。
JAFにとっても1980(昭和55)年度は大きな記録を達成した1年となった。会員数が12月末に200万名を突破し、ロードサービスの年間受付総数は初めて100万件を超えた。
4月には東北本部が、6番目の地方本部として関東本部から独立した。9月からは半年間にわたりガソリン節約運動の一環として「JAF S・G(セーブガス)講習会」を実施し、省エネルギーの必要性を自動車ユーザーに訴えた。国際的な活躍の場も広がり、5月に東京で開催されたAITアジア太平洋地域総会では、ホスト国の団体としてJAFが運営を担当した。11カ国13団体の63名が来日し、2日間の日程を無事予定通りに終えた。
1981(昭和56)年度 神戸ポートピア会場で特別ロードサービス実施
1981年(昭和56)3月から9月まで「神戸ポートアイランド博覧会」(ポートピア'81)が開催された。このイベントに対応して関西本部と兵庫支部は特別ロードサービスを実施。出動は1,399件を数えた。
4月からは、前年度の会員200万名突破を記念して、10年以上JAFに入会している会員に特製ステッカーの配付を始めた。同月、初めて航空会社との協定により航空券販売代理店を開設した。旅行サービスの件数は順調に増加を続け、7月には5万3,715件となり月間記録を達成した。
この年度にはロードサービスが救援件数でも年間100万件を突破し104万9,800件となった。高速道路でのロードサービスは合計20路線で実施されるようになり、その総延長距離は3,000㎞を超えた。また物価上昇などにより、4年ぶりにロードサービス料金の改定も行った。
1982(昭和57)年度 ユーザーテストを開始
公益活動の一環としてJAFはユーザーテストを数多く実施しているが、初めて行われたのはこの年である。第1回はバッテリーの始動能力テストで、結果を『JAF MATE』の1983年(昭和58)1・2月合併号に掲載した。
会員向けサービスへの問い合わせが増えたため、会員優待施設がどこにあるかを紹介した『JAFサービスブック』を制作。地方本部と支部に常備し希望者に送付した。
また自動車関連税を増税し、道路整備の名目で課すガソリン税や重量税などを一般財源化する案が浮上したことから、全国各地でこれに反対する決起大会を開き、12月には東京で全国総決起大会を開催し1,500名の参加者を集めた。『JAF MATE』を使った呼びかけにより、ユーザーの声を国会議員にハガキで届けるキャンペーンなど、さまざまな活動を展開した。
1983(昭和58)年度 会員数の増加に弾みがつく
創立20周年を迎えたJAFは、会員数が300万名を突破して1983(昭和58)年度末には322万名に達した。5月には高松宮宣仁殿下を始め来賓や関係者を招き、創立20周年記念祝賀会を開催した。
また4月には全国オンライン電算システムに経理システムが加わり、会員管理、ロードサービス、通信販売と合わせて4システムが稼働し始めた。
一方では所得税、住民税の減税対策として運転免許保有者や自動車が増税や新税の対象として狙われたことから、前年度に引き続いて反対運動を展開した。10月に東京で「自動車の増・新税阻止全国大会」を、11月から12月にかけて全国10カ所で地方大会を開催し、翌年1月には国会議員に対する陳情活動を行うなど自動車ユーザーの声を社会に向けて幅広く訴えた。
1984(昭和59)年度 全国統一ロードサービス網が完成
わが国の自動車運転免許の保有者数はこの年5,000万名を突破し、トヨタ自動車がメーカーとして初めて売上5兆円を超えた。自家用車も広く普及し、自動車は生活の中で身近な存在となった。
この年、最後まで残っていた函館支部が12月に統一ロードサービスを開始した。このことによって、JAFは全国エリアをカバーする統一ロードサービス網の構築を完成させた。高速道路でのロードサービス区間についても延長を続けてきた結果、総延長供用区間が3,500㎞を超えた。
毎年春と秋に行われる政府主催の「全国交通安全運動」にJAFは協賛団体として参加してきたが、この年4月からは運輸省と警察庁の推薦を受けて主催団体に加えられ、安全活動の推進における責任の一翼をになうこととなった。また、この年の9月には第1回税制対策委員会も開催した。
1985(昭和60)年度 つくば万博でロードサービス隊が活躍
1985年(昭和60)3月から9月まで、茨城県の筑波研究学園都市で「科学万博つくば’85」が開催された。JAFは臨時ロードサービスセンターを設置して隊員を常駐させ、キー閉じこみやバッテリー上がりへの対応、故障車の救援などに活躍した。これ以降、大規模なイベントの際にはJAFロードサービス隊が呼ばれるのが恒例となった。
同年9月には、高速道路などでシートベルトの着用が初めて義務づけられ、違反者には罰則が科されるようになった。JAFは8月から9月にかけて「シートベルト着用推進月間」を設け、着用の義務化と正しいシートベルトの使い方を広く周知するための運動を展開した。また会員や海外の自動車クラブからの要望に応えるため、9月から旅行サービスの一環として海外旅行の取り扱いを始めた。
1986(昭和61)年度 AIT国際交通委員会でホスト役を務める
7月に東北自動車道が全線開通し高速道路網が首都圏から北へと延びたこの年、JAFがホスト団体となり、第22回AIT(国際旅行連盟)国際交通委員会が11月、東京プリンスホテルで14カ国から21名が参加して開催された。この会議では日本の排気ガス規制などの報告やJAF交通安全委員会との懇談会も行い、自動車大国のユーザー団体として関係者の国際的な相互理解の推進に重要な役割を果たした。同年12月末にはJAFの会員数が467万名に達し、世界の自動車ユーザー団体の中で第4位となった。
出版物の刊行も積極的に行い、5月に『トラベル&ショッピング』誌を創刊。翌年3月には道路交通法の改正にともなう駐車規制強化に対応して、全国交通安全協会の要請で『JAF MAP東京』を始めとする繁華街の駐車場地図を刊行し、警察署やユーザーから好評を得た。
1987(昭和62)年度 会員数500万名を突破
10月30日から11月3日まで、日本で10年ぶりとなるF1レース「’87FIA F1世界選手権・フジテレビ日本グランプリレース」が開催された。会場の鈴鹿サーキットは連日モータースポーツファンで満員となり、最終日の決勝戦では日本人ドライバーの中嶋悟が6位となり見事入賞を果たした。
JAFは同年8月に会員数が500万名を突破し、1988年(昭和63)3月末には536万8,377名に達した。支部別会員数では東京および大阪が60万名を突破した。ロードサービス関係では、東京、千葉、静岡、愛知、大阪、兵庫、岡山、広島、福岡の9支部に車積載車を初めて導入した。四輪駆動車やオートマチック車など、レッカー車によるけん引が難しい車種が増えてきたための対応であった。
円高の影響もあり旅行サービス業務の取り扱いも順調に増加し、JAFの取り扱う旅行サービスの規模が50億円を超えた。
1988(昭和63)年度 チャイルドシート着用実態調査を実施
1988年(昭和63)3月に青函トンネルが通行を開始し、4月には3ルートある本州四国連絡橋のうち最初に瀬戸大橋が開通した。この年度はロードサービスの取扱件数も順調に伸び、215万2,548件と年間200万件を超えた。
一方で1988年(昭和63)は交通事故が急増した年でもあった。年間の交通事故死者が全国で1万名を超えて第2次交通戦争と呼ばれる事態となり、JAFも関係機関と協力して交通安全活動にさらに力を入れた。
9月にJAFは日本で初のチャイルドシート着用実態調査を実施した。全国の高速道路料金所8カ所で2,058台を対象に調べたチャイルドシートの着用率はわずか5.4%だった。助手席に座らせたり、だっこしたままという危険な状態で子どもを乗せるケースも目についた。これらの結果はマスメディアでも広く報道され関心を集めた。